映画『In Pursuit of Silence(静寂を求めて)』
都市で生活する私たちが自然に戻っていく根源的な意味に迫った、映画『静寂を求めて―癒しのサイレンス―』を映画をご紹介します。
▲映画『静寂を求めて―癒しのサイレンス―』予告編(2018年9月22日にロードショーされた作品です)
山に向かうと聞こえてくる風の音、川のせせらぎや雨音、虫の音に鳥の声。
その静寂という音を求めて、山や自然に向かう人も少なくありません。
私たち人間は本来、自然の中で生活していました。
いつから自然を離れて、こんなに騒々しい世界を創造してしまっていたのだろう・・・そんな問いかけを映画にした作品があります。
知らず知らずのうちに騒音の中で生活することに慣れてしまった私たち。
ノイズの渦の中で、静寂を求めてしまうのはごく自然なことわりなのかもしれません。
『静寂を求めて −癒やしのサイレンス−』 ©TRANSCENDENTAL MEDIA
この映画を通して、私たちが直面している「騒音と静寂」の両面を感じることができました。
無伴奏曲『4分33秒』で有名な作曲家のジョン・ケージの言葉が耳に残ります。
’’Silence doesn’t really exist. Silence is sounds.’’
(静寂は存在しない、静寂とは音だからだ)
『静寂を求めて −癒やしのサイレンス−』 ©TRANSCENDENTAL MEDIA
そもそも静寂は無音ではない、自然の中で耳を澄ましていると聞こえてくる「音」である。
現代では都市がつくりだす「環境騒音」によって、ストレス、睡眠障害などさまざまな健康被害を引き起こしています。
しかし、日常生活でストレスから解放されるために、人間が本来戻るべき自然の中で「静寂」を得ることは、これまで以上に特別なことになってきています。
『静寂を求めて −癒やしのサイレンス−』 ©TRANSCENDENTAL MEDIA
そんな雑音から逃げるように、23歳の誕生日までの1年間、沈黙を貫き全米を歩いたクレッグ・ヒンディが作中に登場します。彼が逃れたい雑音は「電子機器とエンターテイメント」。
沈黙の人生で悟ったことは「何をどの程度許容するかということ、本質を見るには後退することも重要」だと彼は話します。
『静寂を求めて −癒やしのサイレンス−』 ©TRANSCENDENTAL MEDIA
「産業革命以降に都市化が始まり、渋谷のような都市が生まれノイズが始まった。人間は遺伝子レベルで考えてみても静かな環境を望む生き物である」
環境科学者の宮崎良⽂教授は自然の中で過ごすことの大切さを伝えています。
『静寂を求めて −癒やしのサイレンス−』 ©TRANSCENDENTAL MEDIA
本作の見どころの1つに、「静寂」と引き換えに生まれた「人工化」により、過剰な刺激が氾濫していることへの気づきがあります。
特にさらされる外的ストレスの中でも「騒音」は避けることができないストレスです。
私たちの日常に置き換えてみても、地下鉄に溢れる騒音から逃れるため、ノイズキャンセリング機能付きのヘッドホンを装着する人もよく見かけます。
最近読んだ『NATURE FIX』にも書かれていましたが、「自然はストレス軽減させ、脳機能を高める」ことが科学的に解明されています。
ここまで振り返ってみても「自然」に赴き、静寂を求めない理由はありません。
『静寂を求めて −癒やしのサイレンス−』 ©TRANSCENDENTAL MEDIA
またスクリーン一面に広がる積雪地帯や森林、山々などの自然の景観が美しく、その静けさに息をのみます。
タイトルにもある「静寂」を表現するため、あえて撮影にクレーンの動きやドローン、カメラの左右の動作をなくすことで「静止している世界を体験しているように」撮影された自然の映像に、圧倒されることは間違いないでしょう。
監督自身も静寂を体感すべく、6ヶ月に及ぶ編集期間は、家族と離れ、メールや電話など外界とのやりとりを一切シャットダウンして臨んだそうです。まさに「静寂」の中から生まれた作品です。
ぜひ、現代社会では特別なことになってしまった「静寂」を、この作品で体感してください。
- 監督:パトリック・シェン
- プロデューサー:パトリック・シェン、アンドリュー・ブロメ、ブランドン・ヴェダー
- 出演者:グレッグ・ヒンディ、宝積玄承、ジョン・ケージ、奈良 宗久、デイヴィッド・ベチカル、宮崎 良文 他
- 81分/2015年/英語・日本語
- 配給:ユナイテッドピープル 原題:IN PURSUIT OF SILENCE
< ユナイテッドピープル協賛 >