arrow-right cart chevron-down chevron-left chevron-right chevron-up close menu minus play plus search share user email pinterest facebook instagram snapchat tumblr twitter vimeo youtube subscribe dogecoin dwolla forbrugsforeningen litecoin amazon_payments american_express bitcoin cirrus discover fancy interac jcb master paypal stripe visa diners_club dankort maestro trash

読みもの

読みもの

【インタビュー】田部井進也/ “東北の高校生の富士登山” が今年も始動 富士登山プロジェクトに込める想い「1000人になるまで続けます」

by akiko omuro
【インタビュー】田部井進也/ “東北の高校生の富士登山” が今年も始動

【インタビュー】田部井進也/’’東北の高校生の富士登山’’が今年も始動「1000人になるまで続けます」

「富士登山を経験した子たちが10年後20年後、東北、日本を支える人材になる。自分たちの活動を通してそういう大人が増えていくのかなと思うとワクワクします」

そう語るのは、東日本大震災とその後の原発事故からの復興を願い発足したプロジェクト「東北の高校生の富士登山」のリーダーを務める田部井進也さん。「登ろう! 日本一の富士山へ」というスローガンのもと2012年から活動をスタートし、2016年10月に発起人である登山家の田部井淳子さんが他界された後も、その遺志を引き継ぐかたちでプロジェクトを続けてきた。

同プロジェクトにはこれまで福島県を中心とした東北の高校生のべ575人が参加。2019年夏には第8回目を迎える。田部井さんに、あらためて発足の経緯やプロジェクトに込める想い、今後の意気込みなどを伺った。

被災地の高校生を富士山へ。活動を始めたきっかけは?

—東日本大震災の翌年、2012年から始まった「東北の高校生の富士登山」。発足のきっかけは、やはり震災の影響が大きかったのでしょうか?

田部井:そうですね。ひとりの被災者として感じたことが原点になっていると思います。震災当時、僕は福島にいて、経営していた温泉が一部損壊扱いになってしまいました。それで、義援金とは違う、もっと地元の人に届く何かができないかと考え始めたんです。最初に形になったのは、2011年6月に実施した大人向けの登山企画「被災者ハイキング」でした。

ー高校生の富士登山の前に、そんな企画をされていたのですね。

田部井:避難所や仮設施設に閉じこもるのではなく、「ハイキングに行こうよ!」と、外に出る目的を作ってあげることに重きを置いて、福島県内の山を登りました。「被災者に対してそんなことするのはかえって不謹慎じゃないの?」なんて声もありましたけど、福島にいる俺らがやったら不謹慎にはならない。復旧のめどが立たないなかで自分たちが感じる息苦しさから解放されたいという気持ちもあって、うちの母に「やってくれ」と相談しました。俺がやったら怪しいから先頭に立ってくれって(笑)。そしたらおふくろが「7月は学生が休みだから、来年は高校生を山に連れて行こう」って言い出したんです。

ー福島にもいろんないい山があるなかで富士山を選ばれたのはなぜなのでしょう?

田部井:僕も最初に聞いたときは驚きました。福島県内の磐梯山かなと思ったら、いきなり「日本一の富士山だ!」って言うから。この人バカじゃない、金どうすんのって思いましたけど(笑)、やっぱり「日本一」ってのが決め手だったと思います。

あと、これは僕の想像ですけど、おふくろ自身の山の原体験が関係しているかもしれません。おふくろにとっての初登山は小学生の頃に登った栃木県の那須岳で、自分が生まれ育った福島県の三春町で見てきた景色との違いに強い衝撃を受けたそうなんです。那須岳って、木々がなくて活火山帯で、地熱があったかくって……。自分がいつも見ている景色はほんの一部であって、世界はもっと広いんだって実感したんでしょうね。以来、「あそこはどうなってるんだろう」という好奇心であちこちの山を登るようになった、と聞いています。

おふくろが那須岳で感じたようなことを、参加してくれる高校生たちにも知ってほしかったんじゃないかなと思います。富士山という、日常とはかけ離れたある種の別世界に身を置くことで、達成感とか冒険心とか満足感とか、何かしらを感じて帰ってもらえたらという想いもあったんじゃないかなって。

▲母、田部井淳子さんと。2013年西オーストラリアにて

「だりい」「うぜえ」のその先に

ーなるほど。プロジェクトの公式ホームページに掲げられている田部井さんの言葉「あきらめずに一歩一歩登っていけば自分の夢が叶えられます」を、自分で実感するための富士登山、ということですね。

田部井:登山は己との戦い。体力的なしんどさも相まって、登りながら自分自身の中でいろいろと考えるじゃないですか。で、頂上に立ったときに爆発するんですよね。実際、参加者のなかには感動して泣いてしまう子もいます。

ー運営側としては嬉しい反応ですね。

田部井:本当に。むしろ運営側の僕らも号泣できます。毎年ストーリーがあって、高校生なりにいろんなこと考えながら登ってたり、普段生活してるんだなっていうのを感じますね。

ーどんなストーリーがあるのですか? 詳しく聞かせてください。

田部井:では、第1回目の話を。参加者のなかに、やんちゃな男子高校生がいたんです。登り始めたら「だりい」「うぜえ」「つらい」のオンパレードだったんで、「申し込んだのはお前だろう。そんな態度でいるならもう帰れ」って怒ったんですよ(笑)。そしたらグズグズ言いながらもなんとか登頂してね、携帯で写真なんか撮って誰かに送ってるんです。「今どきの子だな。彼女にでも送ってるのかな」と思ってほほえましく見てたら、下山して3日後くらいにその子のお母さんから手紙が届いたんです、「息子から初めてメールが届きました」って。それが初めて富士山に登頂したあの日だったんです。

ーわあ、胸が熱くなりますね。じゃあ、その彼はめちゃくちゃやる気だったわけですね(笑)。

そうそう、それ最初から言えよって思うけど(笑)、高校生の多感な時期だから難しいでしょうしね。さらにその子の使ってた携帯が、津波で流されたお父さんの形見だったことを手紙で知ったときは、本当に胸が熱くなりました。

▲富士山の頂上にて。2018年の東北の高校生の富士登山

ー富士登山で感じた何かは、きっとその後の人生において糧になっていくのでしょうね。

田部井:最近になって、SNSやLINEで「成人しました」「結婚しました」「子供産まれました」なんて連絡がくるようになったのも嬉しいですね。一緒に過ごしたのはたった3日間なのに、彼らの心にちゃんと残ってくれてるって実感できる。すごく嬉しいし、何よりの宝だと僕らは思ってます。

そういえばこの前、過去参加してくれた高校生から「初任給もらいました。使ってください」って連絡があって、僕らの活動に募金してくれたんです。地元福島の後輩たちに、自分と同じようにすばらしい体験をさせてあげてほしいって。活動を続けることで、みんなで地元・東北を見守る大きな輪が広がっていったら面白いなと思います。

参加費3000円にこだわる理由

ー2012年からずっと続けて来られて、今年で第8回目。運営を継続するのには大変な部分もあったと思います。

田部井:そうですね、切実に大変です(笑)! バスチャーター代、山小屋2泊分、プロの登山ガイドなどサポートメンバーへの支払い……と、じつは1回の富士登山でだいたい1千万近くかかるんです。ツアーとして考えると、本当は高校生ひとりにつき8万5千〜9万円はかかる計算になります。

ーえ、でも高校生の参加費はひとりあたり3000円、しかも登山靴などのレンタル代も含まれますよね?

田部井:はい。本当はもう少し参加費用がほしいところなんですが、高校生のお小遣い平均を聞いたら月額5千円だったんです。5千円全部取っちゃったら鬼じゃないですか。そんな大人はいちゃいけない。

ーそれにしても3000円は安い、ですよね。もう少しもらってもいいのでは?

田部井:仮に1万円でも十分安い金額だから、親御さんに頼んだらおそらく出してもらえると思うんです。でも、そうすると主導権が親になっちゃうんですよ。それじゃあ、おもろくない。高校生が自分で3000円出して登るのと、親から1万円出してもらって登るのとでは、思い出の残り方が全然違うと思うんです。なので、参加費1人3000円はぶらさないようにしてます。運営費を集めるのは正直なところなかなか大変ですけれど、そこは大人がなんとかしないと。大人の責任です。

ー大人の責任?

福島県内は原発事故の影響で外で遊べる状況が少なくて、今でも公園には線量計があって、その脇で子供たちが遊んでいます。ちょっと口悪くなっちゃいますけど、ガキの仕事って、外で死ぬ気で本気で遊ぶことじゃないですか。でも彼らはいきなり外で遊ぶことを制限されてしまった。その環境を作ったのは大人。だからお金の面は大人たちがなんとかしなければ、という気持ちでいます。それが大人の責任。

▲本日の取材場所「PLAY」(東京・昭島市)は、進也さんが運営する “遊び場” 。カフェの隣にはボルダリングジムが併設されている

▲屋外にはクライミングウォール。「アウトドアの楽しさを知るきっかけになれば」という想いが込められている

本気の大人、かっこいい大人の姿を見せたい

ーこれからの展望を聞かせてください。

田部井:宮城県、岩手県の沿岸部などエリアを広げていきたいのと、震災孤児・遺児の子たちにもっと参加してもらえるよう働きかけていきたいです。

おふくろが亡くなったのは僕が38歳のときでしたけど、悲しさ不安を感じる瞬間は多々ありました。でも最近の参加者のなかには震災孤児・遺児と呼ばれる子たちがいて、彼らは小学校の頃に両親をなくしてたりするわけです。なかには血縁関係者がゼロになった子、津波で流された父親の遺体がまだ見つかっていない子もいる。そういう境遇の子たちって、施設にいるから3000円すら用意できないですよね。登山に必要な速乾シャツや伸縮性ズボンももちろん用意できない。そういう子たちにこそ、参加してほしいなと強く思います。

ー2021年の第10回まであと少し。ここまではやる、というような目標はありますか?

田部井:目標1000人、までは意地でやろうと思ってます。1回あたり山小屋のキャパを考えると100人くらいしか連れていけないので、最低でもあと5回、つまり5年は続けることになりますね。1000人到達後も、規模を小さくしてでも続けていきたいという思いはあります。

実際、富士山に登ったからって復興が始まるわけでもないし、早まるわけでもない。でも、何か見出してもらえるんじゃないかなっていう期待があるんです。被災というつらい経験をしたかもしれないけど、例えば参加者同士、同世代の仲間ができるかもしれないし、富士山からの雲海を見て、気持ちが吹っ切れるかもしれない。あるいは、かっこいい大人に出会って新たな価値観を知るかもしれない。それで十分だと思うんです。

ーかっこいい大人?

田部井:彼ら高校生は自分で考えることもできるし、今はSNSが発達してるから発信することもできる。だけど、未成年と呼ばれてしまう。中途半端で可哀想ですよね。僕は常々、彼らが真剣に話をできる人が身近にいなさすぎると感じていて。その受け皿になれたらという思いもあります。

高校生にとっての大人は基本、親か先生ですから。大人との接点が少ない彼らには、親や先生とは違った「本気の大人」の姿を見てほしい。だから、プロのガイドやドクター、ナースなど運営側に協力いただく方々には「高校生たちとは仲間として接してほしい」と伝えています。それで「かっこいい大人がたくさんいたな」「ああなりたいな」と思ってもらって、そこからひとりでも山好きが増えてくれたら業界的にもラッキーじゃないですか。

ーたしかに高校生の頃の人間関係の輪は限られているかも。本気の大人、変な大人に出会ったり、日常とはかけ離れた体験をすることは財産になりますね。

田部井:富士山に登りたい。そう決意して応募してくれた時点で、挑戦の8割は達成していると思います。誰に頼まれたわけじゃないのに応募してきてくれるって、すごいことですよ。だってそれだけで勇気が要りますからね。彼らの勇気に応えるためにも、これからも頑張って続けていきたいです。

▲PLAYに展示されている、田部井淳子さんがエベレスト登山などの遠征で使用していた装備の数々

■ profile

田部井進也(たべい・しんや)

1978年8月5日埼玉県川越市生まれ。登山家・田部井淳子の長男。
東京と福島の高校を6年かけて卒業。駿河台大学大学院、筑波大学大学院野外運動研究室を経て、家業でもあった沼尻高原ロッジ(福島県猪苗代町)の運営などに従事、平成24年(2012年)12月、外遊びの企画やアウトドア・コンテンツに関するコンサルタント業務を行う株式会社タベイプランニングを設立し代表取締役に就任。平成27年には東京都昭島市でクライミングジム&ヨガスタジオ『PLAY』(会員制)をオープン、小学生から中高年まで、幅広い年齢層の人たちにアウトドアスポーツの楽しさを伝える活動を行なっている。
2016年より検定試験運営・組織に関する評価検討委員会委員(文部科学省委託事業)
2017年より一般社団法人田部井淳子基金 代表理事(主として文部科学省後援「東北の高校生の富士登山」を主催、震災復興を含めた野外教育活動などを毎年実施している)

ショッピングカート