はじめての登山道づくりで知った「100年先までトレイルを繋ぐこと」|「奥信濃トレイル保全ワークショップ」イベントレポート
古来より里山と人々を結びつけてきた登山道に、深刻な危機が訪れています。それは一体どのようなことで、何が原因なのか。日本各地で、登山道整備の重要性を改めて認識し、未来へ豊かな自然を繋げていく取り組みが盛んになりつつあります。
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その一貫として、2024年8月10〜11日、長野県北部・奥信濃の木島平村を舞台に「奥信濃トレイル保全ワークショップ」を開催しました。
本記事では、登山道整備の現場をはじめて体験した筆者が、ワークショップの様子を等身大でレポートします。
(文:大城実結、写真:藤田慎一郎)
まずは自然環境をよく観察。カヤの平ってどんな場所?
2日間にわたって開催されたワークショップは、木島平村・カヤの平の自然観察からスタートします。
参加者を先導してくれたのは、木島平村観光振興局の沼野寛(ぬまの かん)さん。彼もまた奥信濃に魅せられたひとりで、周辺トレイルや遊歩道の整備に情熱を注いでいます。
まず私たちが出かけたのは、カヤの平が誇るブナの原生林です。ここには樹齢200〜300年のブナが豊かな森を織りなしており、「日本一美しいブナの森」ともよばれています。
一歩踏み込めば、そこは調和した緑の世界。ブナの葉が重なり合い、風に揺れ、遠くで野鳥の声がこだまします。足元は幾重にもなった落葉のクッションで、自然と足が進んでいきました。
「カヤの平の原生林は、6000年以上の時間をかけて育まれた環境なんです」と、沼野さん。
その言葉が示すように、この森は自然が最終的に辿り着く「極相林」といわれています。長い年月をかけて自然が作り上げた理想形で、ひとたび壊れてしまうと簡単には再生できない、非常に貴重な環境なのです。
ブナの原生林を抜け北上すると、北ドブ湿原が広がっていました。標高1,550mに位置するこの湿原では四季折々の豊かな高山植物が見られ、大切に保護されています。
「こんなによい森だとは」や「とても心地のよい散策ですね」と、参加者もカヤの平の自然にうっとり魅了されています。
「ここを見てください」
沼野さんが、とある登山道を指さしました。いよいよ登山整備レクチャーの開始です。
「土がむき出しになっているこの部分は、他の場所と比べて非常に固くなっています。人間が踏みつけたことによる踏圧(とうあつ)に加え、雨による流水で表面が削られることによって、土が剥きだしになっているんです」
本来ならば、雨は柔らかな腐葉土を通じて、地中にゆっくり染みこんでいきます。ですが、人間の踏圧によって固められた土は水を吸収しづらくなり、地表に残ってしまった雨水が流水として土砂を押し流し、このような浸食がはじまります。
さらに雨のたびに浸食の面積が拡張することで、植物が育つことのできない固い土壌が広がっていくのです。
私たちが登山道とよぶその多くは、かつて里山と人々の暮らしに欠かせない生活道でした。その道を使う人々が日々整備し、大切に繋いできたものの、近代化が進むにつれて次々と麓の舗装路が開通。加えて過疎化によって荒廃が進み、今日のような状況が生み出されているともいわれています。
豊かな自然を地域の魅力として活かしながら、自然と人間の共生を営むには、適切な登山道整備が必要不可欠なのです。
ひとつ胃の腑に落ちたような気分になりながらも、「では実際どうやって?」と疑問符を頭の上に浮かべて森を抜ける筆者。その謎を解くために、次のワークショップに挑みます。
100年先まで続くトレイルへ。近自然工法ってなあに?
自然観察を終え、次に屋内ワークショップが始まりました。ここからはより具体的に、登山道整備の方法論を学んでいきます。
「奥信濃100をご存知でしょうか」
と、登壇したのは奥信濃100の実行委員長・トレイルランナーの山田琢也(やまだたくや)さんです。「奥信濃100」とは、木島平村を含めた2市1町3村が舞台となるトレイルランニング大会。
100という文字に込められているのは「100年先もおもしろい大会でありますように」というメッセージ。そのためには、100年先も続いていくトレイルが必要です。
かつて人々が生活道として使っていた古道を辿り、藪をかき分け繋げてみると、奥信濃を巡る旅のような道が生まれた、と山田さん。そこから本格的に奥信濃での登山道整備が始まりました。
奥信濃と都市部の交流人口を増やしながら、自然との共生を目指していく。その考えと共鳴したのが、登山道整備の方法である「近自然工法」の考え方だったと山田さんはいいます。
そもそも近自然工法とは、自然界の構造を施工に取り入れ、生態系の復元を目指す登山道の整備方法です。簡単な言葉に言い換えるなら「自然に近づける」「自然に近い方法を使う」こと。
まず登山道が荒廃した原因を観察し、周辺の生態系を理解します。その上で、現地で調達可能な資材を選定し、自然の摂理を利用しながら施工をしていくのが、近自然工法の考え方です。
例えば、公共工事などで外部から資材を運び、大掛かりに修繕した事例は、想定された耐久年数より長持ちしないことが多々あります。これはその地特有の自然環境や生態系と合った施工ではなかったと推察できます。
近自然工法で大切なのは「自然をよく観察することに尽きる」と山田さんは話します。
道が荒廃した理由を探りながら、雨の時の水の流れや雪解け時を想像したり、登山者の気持ちになってみたり、さまざまな角度から考察をする。その上で、浸食が止まり植物の復元している状態を思い浮かべ、理想の状態に近づくための「きっかけ」として、適切な登山道のあり方を探るのだそうです。
山田さんをはじめ、近自然工法の考え方で登山道整備をする皆さんはいいます。
「私たちが生きている間にどうにかなるとは思っていません。一度、壊されてしまった環境は簡単には元に戻りません。本来の環境が元通りになるのは、何十年後、何百年後かもしれない。けれど、次の世代のために、今できることは今しておかなければ」と。
自然に倣い、登山道を整備し、また崩れたら「施工の弱い部分を自然が教えてくれたんだ」と思う。人間のための登山道ではなくて、自然のための登山道だと考える。自然のあり方に近しい工法での整備が、奥信濃をはじめ全国各地で芽吹きはじめています。
この地域を守る方々のお話、そして鋭い角度で飛び交う参加者からの質疑応答を経て、日はゆっくり西へ傾いていきました。
はじめての登山道づくりに挑戦
美しい景色や近自然工法の考え方、そして皆さんの熱い想いでパンパンに満たされた頭で、2日目の登山道整備の本番を迎えました。
私たちが整備するのは、奥信濃100の舞台にもなっている本沢川トレイル。このトレイルもかつては生活道だったと考えられていますが、近隣に林道が通ったことで衰退の一途を辿りました。奧信濃100の開催をきっかけに整備をされ、今では年間1000人が歩く登山道に生まれ変わったそうです。
修復現場に向かうこと約30分。「さて、本日の作業現場に着きました!」という言葉に耳を疑います。なぜなら私たちが到着したのは……。
土肌が剥きだしになり、崖のようになってしまった場所、ここが本日の作業場所なのだというのです。一体何をどうすれば……? 参加者もその荒廃具合に「ええ?」と困惑ぎみです。
そんな我々をガッチリサポートすべく駆けつけてくれたのは、甲斐駒ヶ岳周辺で登山道整備にあたる「北杜山守隊」の山部晋矢(やまべ しんや)さんと、細田真晃(ほそだ まさあき)さんのおふたり。
彼らは地元の建設会社で働きながらトレイル整備に精を尽くす、近自然工法の草分けのような存在です。
北杜山守隊の活動について知りたい人はこちら
「この場所は見ての通り人が通っています。ただ、人間が歩いたとき踏み固められているのは(地中の)奥で、表面は登山靴の裏でほぐれているんですね。ほぐされた土は流れていくので、斜面が険しくなっていったんです」
これが、この場所における山部さんの見解です。観察結果を元に、どのような設計にすべきか考えていきます。
「例えば、斜面も頑張れば真っ直ぐ上がっていけますよね。でもそれだと、ハシゴのようになっちゃう。それだと登りづらい。そこで考えたのがジグザクに階段を組む方法です。距離は長くなるんですけど、緩やかになって登りやすくなります」
さらに山部さんは水の流れも考慮し、この施工方法を採用したといいます。
「蛇行させることで水流を弱めることもできます。段をつけて道筋を曲げることで、水の勢いを弱め、周辺が浸食されるのを防ぎたいな、と」
そして、改めて山部さんはこの登山道整備の目的を再確認しました。
「前提として、人が山の色々なところを歩かないように、歩きやすい場所を作ってあげる、その場所を歩いてもらう代わりに、他の場所に緑を戻してあげようという考えが第一です。植生を復活させるためには、歩きやすい道を作ること。僕もそう教わりましたし、そう思って歩いてきました」
周辺環境の観察と分析、施工方法、最終目的を確認したところで、いざ作業開始です!
1.資材集め
資材集めは登山道整備で労力を使う工程のひとつ。近辺の倒木や木の枝、岩などを集めてくる作業ですが、特別な経験や力は必要ありません。重要なのは、仲間と協力して重い資材を安全に集めること。
筆者を含め、ワークショップの参加者は全員で手分けをし、力を合わせてさまざまな資材を運びました。
2.基礎の建築
施工物に合わせた基礎は、専門知識と経験がある北杜山守隊が主導となって建設を進めます。参加者が集めた木や石、岩などを資材に、次々と階段が組み上げられていきます。
3.登山者の心理を読んで仕上げる
そして仕上げとなるのが、登山者の心理を読んで「歩きやすさ」を追求すること。例えば段差は20㎝以内に収めるのが鉄則で、それ以上の差がついてしまうと、登山者はこの道の利用を避けて、側道に逃げてしまうのだとか。そうすると、本来の目的だった浸食を防ぐことを達成できません。
実際に細かい調整に入ると、ワークショップ参加者の目が一層輝き始めたのを感じました。なんせ皆、山歩き(あるいは、走り)を愛する者。歩きやすい道の感覚は体に刻み込まれています。
「これは高すぎる」「この岩が浮いているからやり直そう」「ちょっと滑りそうで怖い」など、それぞれ気になる点を伝え合い、修正作業に取りかかります。
その姿には、主催者の皆さんも「こだわるねえ」と笑顔の驚きが。そうして細部を詰めること4時間、その登山道の全貌が明らかとなりました。
4.完成!
「一旦こんな感じです。みなさん、下に来てみてください」
という号令に参加者一同集まり、下から完成した登山道を見上げます。その景色は圧巻でした。なぜなら絶壁に、古道のような建造物が現れたのですから!
これには参加者の表情にも、驚きと笑顔が入り交じります。山部さんも「こんなに大がかりなものは初めてです」と教えてくれました。
2日間におよぶワークショップの締めくくりに、参加者同士で感想を交わし合いました。
「やはり調達、そして微調整が大変でした。けれどみんなで力を合わせて仕事をできたのが良かった」
「登山をやっている人、トレランをやっている人、それぞれを繋ぐ共通言語が『登る』ということなので、お互いとてもわかり合えた状態で作り上げられたと思います」
など、実作業を通じたことで新たに見えた景色や感覚がありました。
登山道を整備することは、未来に自然を繋ぐこと
深い森を抜け、久々に電波のある世界に戻ってくると、これまでのことがすべて嘘のよう。白昼夢のような感覚の中、山田さんの最後の言葉が頭の中で反響します。
「これから秋が来て、冬が来れば、積雪が5メートルくらいになります。そしてまた春、夏が来れば、ぜひ皆さん、この場所、現場を見に来てください。もしかしたら跡形もなくなっているかもしれないんですけれど(笑)。それはないとして、また皆さんが戻ってきてもらえると凄く嬉しいです」
あって当たり前、けれど当たり前には存在しない登山道には、いにしえからの知恵や人々の想い、そして未来へ豊かな自然を繋いでいきたいという願いが込められています。
一度知ると、これまで何気なく歩いていた登山道が、まったく違って見えてきます。気候条件や地質、植生を踏まえ、この道はどのような意図で作られたのだろうと想いを馳せる──その心の動きが、登山道整備にとって最初の一歩なのかもしれません。
登山道を守る人を応援する
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