山のプロフェッショナルを支える「The 3rd Eye Chakra Field Bag Works」が取り組む、ネパールとの関わりとものづくり
山岳カメラマンやクライマーといった、登山のなかでもテクニカルなシーンに挑む人たちのためのバックパックブランド「The 3rd Eye Chakra Field Bag Works(ザ サードアイ チャクラ フィールドバッグワークス)」。尖ったアイテムがゆえ、「これでなければ」と愛用するファンは少なくありません。
ブランドの代表を務めるのは、ドキュメンタリーフォトグラファーとして活躍するカドタニ “JUMBO” マサルさん。世界中の山岳や辺境で培った経験をもとにバックパックを開発し、さらに製造をネパールで行うというユニークな取り組みを行なっています。そんな「The 3rd Eye Chakra Field Bag Works」のブランドに迫っていきます。
(インタビュアー:原田 佳奈、記事/写真:小林 昴祐)
—まず、カドタニさんと山との出会いを教えてください。
18歳のとき、プロスキーヤーの三浦雄一郎さんが高校生と一緒にヒマラヤに行くプロジェクトがあり、呼んでいただいたのが最初ですね。関西出身なのですが、通っていた高校の校長が三浦さんだったんです。三浦さんはこれまでエベレストの登頂やスキー滑走などを行なってきましたが、高齢になってから再度エベレストに挑むプロジェクトをスタートさせる段階で、トレーニング登山を兼ねてヒマラヤの遠征が計画されていました。その一環の教育プロジェクトとして、高校生も一緒に連れていってもらう機会があったんです。それが山、ヒマラヤとの最初の接点です。
大学に入ってからも、三浦さんが6000m級のヒマラヤ遠征に行くときには声をかけてくださりました。遠征先では山岳カメラマンの大滝勝さんが自分のことをかわいがってくれて、カメラアシスタントのような形で遠征に参加させてもらっていました。大滝さんは三浦さんが1970年にエベレストからスキー滑降をした記録映画を撮影していて、アカデミー賞も受賞している方なんです。
—いわゆる山岳部、ワンゲル部とは違う感じで山のキャリアがスタートしたのですね。
そうですね。メインは撮影です。今は写真も映像も撮影するのですが、最初は写真にすごく興味を持ちました。撮影の技術や考え方も遠征の現場で学びました。ヒマラヤ遠征には天候予備日があり、空き時間にカメラを持って撮影をしたり、映画用のフィルムのあまりで撮らせてもらったり、貴重な経験をさせていただきました。
あるとき、ひとつのヒマラヤ遠征が終わったあとに、「時間があるならここでボランティアをしてみたら?」と三浦さんに勧められました。それが現地の貧困層の方たちとの関わりのはじまりです。貧困層の子どもたちに無償の教育を施す小学校があり、放課後に英語の先生をやるボランティアを募集していたので参加してみたのですが、そこで転機ともいえる出来事がありました。
すごく懐いてくれていた女の子が、ある日学校に来なくなってしまいました。何があったのかと、校長先生と一緒に探しにいったら、人身売買で売られてしまっていたと。その出来事がすごくショックでした。新聞やニュースで見ることはあっても、実際目の前にいた人が消えるという経験が心に残っていて、それを写真で表現できないかな、仕事にならないかと漠然と思うようになりました。
その後、学校を卒業してからはカメラマンを目指しました。プロのカメラマンというと、誰かの弟子になる、スタジオに入るというのが一般的。でも、それでは面白くないし、そもそも写真の学校に行っていたわけでもないので、撮りたいと思うものが多いネパールに渡って、そこで写真修行をしようと考えました。日本で働いてお金を貯めて、ネパールに入り浸るという生活を送り、30歳になるまで、足掛け4年くらいはネパールに通っていました。
最初は報道写真を志していたので、現地の通信社と契約をしました。当時ネパールはまだ内戦状態で、ドキュメンタリーをテーマにした写真を撮っていました。内戦が終結してからは山の撮影にシフト。ヒマラヤの撮影は期間も長くお金もかかるので、写真だけではなく映像も撮ってきてほしいという案件が多くなり、映像にも力を入れるようになりました。
—多くの人が抱いているネパールのイメージとは違う、根深い貧困や教育問題があることは知りませんでした。カメラマンでありながらも、「The 3rd Eye Chakra Field Bag Works」というバックパックブランドをスタートさせた理由は?
山の映像の仕事はほとんどが日本からの仕事だったので、一度東京に戻りました。ただ、テレビ番組の撮影など大きなプロジェクトが増えて忙しくなってくると、個人的にネパールに行く機会も減ってしまい、せっかくできた接点が薄くなっていくのがさみしく、気になっていました。
何かアクションをしたい。けれど、いわゆる援助のような、現地の貧困層のコミュニティに学校や病院を作るというのは、今の自分にできるかというとそうではない。そもそもお金を集めて建物を作るだけでは不十分で、10年、20年と、根付くまで運営していく必要があります。その運営のための資金をずっと送りつづけるのは難しいと感じていました。
平行して、撮影の仕事をする上で使うアウトドアギアにはこういう機能が欲しいとか、スタイルに合わないとか、自分なりの要求があり、こうだったらいいなというアイデアを書き溜めていました。そのことを仕事で関わった会社の方に話していたら、一緒に形にするプロジェクトをしてみないかと提案をいただいたんです。
であれば、ネパールの人たちを巻き込んで、仕事として提供したい。そうすることで学校支援や病院を作るということではなく、仲間として働くことができる。ネパールの人たちと一緒に関わり続けられると考えました。ネパール側に製造のベースを作りたいと話したら、おもしろがってくれて、このブランドが立ち上がりました。2015年のことです。今はコロナの影響もあって、去年2021年の1月にブランドはその会社から離れ、僕が経営権を買い取って独立した形になっています。
—いろいろなご縁があって、「The 3rd Eye Chakra Field Bag Works」が生まれたのですね。ここにはミシンがありますが、ご自身で作ることもあるのでしょうか。
これまでと違い、今はネパールに行けないので、現地で生産体制の指示や僕が考えたアイデアを立体的な縫製物にすることができません。そのため、自分でプロトタイプ、型紙を作って、現地に送ってオンラインミーティングで説明しながら試行錯誤しています。ちなみに修理はここ東京でも行っています。
—コロナ禍で現地とのコミュニケーションも難しいですよね。
ネパールにいる生産のマネージャーは、僕がヒマラヤの撮影のときに現地の人を取りまとめる仕事をしていた人なんです。ネパールには日本人と比べると結構いいかげんな人も多いのですが、そのなかでは特筆して真面目。できないことがあると悔し泣きをするくらい。信頼のおける仲間です。
工房には縫製の職人が5人、マネージャーが2人。逐次、仕事をしたい人を貧困層のコミュニティから採用しています。今は体制が構築できていますが、2015年に現地に縫製の基盤を作りはじめ、職人の養成、ファーストプロダクトの試作、市販品として2017年に発売するまでに約1年半ほどかかりました。
—サードアイのブランドロゴについて教えていただけますか?
「the 3rd eye」とは、カメラマンとしての心の第三の目です。カメラのファインダーを覗いたとき、目で見えるものだけを追いかけると、とくにドキュメンタリーだと話の辻褄が合わなくなったり、惑わされてしまう。そうならないよう、常に状況を俯瞰的に見る視点を持って撮影をしたい、フィールドと向き合いたいという意味が込められています。
「3」はネパール語の数字をモデファイしたもので、山のイラストは登ったことのあるマナスルという8000m峰がモチーフです。山を背後から照らし出している光は、明るい未来に向かおう、というイメージですね。
—YAMAP STOREで取り扱っているアイテムをご紹介してください。
【ザ バックパック #001 40L】
「ザ バックパック #001 40L」は、山岳の登攀や極地の探検などを目的とするエクスペディションやバックカントリーをターゲットに開発したモデルです。クライミングギアや撮影機材を収納でき、フィールドで出し入れしやすい仕様になっています。
背面の開口部ですが、雪山で使うときも雪が中に入らないように吹き流しが内蔵されています。
市販品のバックパックにも背中が開く仕様のものはありますが、ほとんどのジッパーはU字型。しかしU字型だとよじれや力の掛かり具合で壊れてしまいやすいため、直線のジッパーにすることで使いやすく、また長持ちするようにしています。
フロントのポケットは、バックパックの前面側にもう一枚生地を設けた二重構造。サイズによりますが、バックカントリー用のスコップやピッケルも入ります。ピッケルはバックパックのアックスホルダーに取り付けることが一般的ですが、落としてしまうリスクがあります。確実に落とさないためにもこのポケットが役に立ちます。
バックルは外に引き出せるので、大型の三脚やスノーボードなどバックパック内に入らないアイテムを運ぶことが可能です。サイドにはコンプレッションベルトがあり、ストックやスキー板を取り付けられます。ヒップベルトはクライミングのハーネスの干渉を避けるために脱着式に。
アルパイン向けのバックパックは完全防水が人気なのですが、自分で使ってみると穴が空くと水が入ってバケツのように重くなったり、中の荷物が濡れたりすることがありました。そのため、各所に水抜き穴を設け、縫い目の補強はするけれど防水はしないという判断をしています。
雨蓋が本体の容量に比べて大きく作られているのは、冬山で使う装備を入れられるように。ゴーグルも潰れずに収納、携行できます。
フレームについては、プラスチックのパネルや、U字のパイプを使っていることが多いのですが、これに関しては、体をひねったときに追従するように独立した3本の棒で構成されています。
※「ザ バックパック #001 40L/60L」は、一部のカラーを除き現在再入荷待ちです。ご購入をご希望の方には再入荷のご連絡をお送りいたしますので、以下の商品ページの「入荷連絡フォーム」にご登録ください。
【ザ バックパック #002 パッカブル 25L】
「ザ バックパック #002 パッカブル 25L」は、名前にあるとおりパッカブルタイプの小型バックパックです。とにかくシンプルな構造で、雨蓋をロールできるのはメインコンパートメントの増加に対応できるのと、荷物が少ないときや雨蓋が不要なときは畳んでおけるように。
フレームは入っていますが、さらに軽くしたいのであれば抜いて使うこともできます。いわゆるUL的な使い方もできます。ウエストベルトはついていないのですが、ループは設けているので追加することは可能です。
どの製品もそうなのですが、メインの雨蓋を留めるストラップに金属製を採用しています。この部分は荷重をコントロールするために必要なのですが、絶対に壊したくないパーツなので強度の高いものを選んでいます。
—今後の展望を教えてください。
これまで作ってきたものは「僕が山で仕事をする上で必要な道具」。これはこれで重要なアイテムで、ブラッシュアップをしながら定番としてつづけていきます。次は、アドベンチャーレースをはじめ、他のジャンルで活躍するプロフェッショナルな人たちから話を聞きながら組み立てるアイテムもできたらいいと思っています。
また、軽いものにも興味があります。今であればすごく軽いUL(ウルトラライト)が流行していますが、それは思想としてモノを少なくするという目的がありますが、背負いやすいとか頑丈という世界観はありません。僕らが安直に手を出せない、作ってみたところで面白いモノはできない。だからこそ、僕らなりの解釈で軽量な新しいアイテムを作っていきたいですね。
バックパックひとつ作るだけでも、多くの工程があり、たくさんの人が関わっています。今はコロナ禍でネパールに行けないのですが、やはり現地に行って、工房の職人たちとコミュニケーションを取りながらものづくりをしたい。ネパールとの協業は、自分の居場所、秘密基地を作っている感覚です。現地の仲間と一緒に、使いやすい道具を作る。それが「The 3rd Eye Chakra Field Bag Works」というブランドなんです。
※一部の商品・カラーで入荷待ちとなっています。ご購入をご希望の方には再入荷のご連絡をお送りいたしますので、以下の商品ページの「入荷連絡フォーム」にご登録ください。
カドタニ “JUMBO” マサル
1982年、関西出身。 愛称である "JUMBO" は、山岳に鍛えられた頑健な体格と、何事にも動じない性格が由来。 学生時代より三浦 雄一郎氏のヒマラヤ遠征に同行を重ねたことでネパールを知る。 神々しいまでに美しいヒマラヤの大自然と、その中で育まれた多様な民族文化に惹かれる反面、カースト制度や貧困に起因する社会問題を身近で目の当たりにしたことで、フォトグラファーとして善悪の価値観を超えた「人間=動物の魅力」を表現することを志す。 現在は、世界中の辺境や山岳地帯をフィールドにした写真・映像撮影で幅広く活躍しつつ、人の原風景的な魅力をテーマに、頂に挑む登山家や未だ知られていない民族、社会問題の中で逞しく生きる人々などを被写体としたドキュメンタリー撮影プロジェクトを展開している。 また、その究極的な山岳経験を活かし、ヒマラヤの麓で造るアウトドア向けバッグブランド 【The 3rd Eye Chakra Field Bag Works (T3EC) 】を主催。ソーシャルビジネスを組み込んだ生産工房の整備からプロダクトデザイン、運営ディレクションまで行う。