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読みもの

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遊び手が創り手。finetrackが描き続ける独自の軌跡 アウトドアファンを魅了するモノづくりの根幹にあるものとは。代表・金山さんに伺うfinetrackの軌跡

by akiko omuro
遊び手が創り手。finetrackが描き続ける独自の軌跡

遊び手が創り手。finetrackが描き続ける独自の軌跡

2004年に神戸でスタートした「finetrack」(ファイントラック)は、日本を代表するアウトドアブランドのひとつ。世界初となるドライレイヤー、防水透湿素材「エバーブレスメンブレン」などの新素材を開発する一方、レイヤリングの新しい概念としてミッドシェルを提案するなど、これまで独自の路線で実用的かつ革新的な商品を世に送り続けてきた。

多くのアウトドアファンを魅了するモノづくりの根幹にあるのは、「遊び手こそ創り手」という概念だ。代表を務める金山洋太郎さんは、クライミングやバックカントリースキー、MTB、カヤック、釣りといった「遊び」を本気で楽しんできた人。そこにはどんな哲学があるのだろうか。創業や商品開発にまつわるエピソード、アウトドア・アクティビティへの想い、これから描く軌跡について伺った。

[インタビュアー:春山慶彦、記事作成・写真:中條真弓]

もともとはロッククライミングを極めたいと思ってたんです。

ーまずは山との出会い、登山を始めたきっかけから聞かせてください。

金山:家が六甲山の麓にあったので、幼い頃からよく裏山感覚で遊びまわっていました。学校が終わってそのまま山の中に入って、道に迷って帰りが夜の9時10時、沢を降りてきて全身泥だらけ…みたいな遊び方をしてましたね。それくらい山は好きな場所でしたし、身近な存在でした。

アクティビティとしての登山を知ったのは、やはり小学生の頃、親父に芦屋のロックガーデンに連れて行ってもらったのが最初です。足だけではなしに全身を使って登るようなところですので、岩登りではないですけど砂山を登るような、日常にはない感覚をそこで覚えたのかもわかりませんね。

ー金山さんは登山はもちろんのことスキーやカヤックなど、アウトドアアクティビティ経験が非常に豊富と伺っています。

金山:まあ神戸ですから、ちょっと行けば須磨の海岸や野池があったりして、釣りなんか楽しむのも事欠かない環境でしたし、六甲山ゴルフ場では当時、天然雪のスキーが楽しめたりなんかして。山と同じように、小学校の頃からいろいろと楽しんでましたね。思えばその頃から、マルチアクティビティという感覚を持ったんちゃうかなと思います。

ーそういったマルチアクティビティに親しまれてきたご経験が、アウトドアアパレルの業界を志すきっかけになったのでしょうか?

金山:いえ、僕はね、もともとはロッククライミングを極めたいと思ってたんです。やっぱり神戸ですから、ロッククライミングクラブ(Rock Climbing Club , RCC)の藤木九三らの開拓精神に惹かれるもんがあって。高校では山岳部に入るんですけれども、高校生だから禁止なんですね(笑)。結局、高校時代は部活以外でクライミングの自主練習に励みました。その後、どうしても本格的にクライミングがしたいということで、高校卒業と同時にすぐに社会人山岳会に入りまして、そっから先20代はクライミングにどっぷりで、一時期はプロのガイドを目指して点数稼ぎをしてましたね。アウトドアアパレルの世界に入るのは30歳以降の話です。

1974年、24歳の夏、カナダ北極圏・バフィン島の岩壁群を仲間と日本人初ルート開拓した際のオフショット。当時流行していたヒマラヤ、ヨーロッパアルプスを避け、あえて北極圏での挑戦を選んだ

ー点数稼ぎ、というのは?

金山:当時、第二次RCC(通称・RCC2)という組織が中心になってクライミングの成果をポイント制にしてたんですよ。何点以上あればガイド資格がとれる、みたいな感じで。

当時は僕も「点数稼いでガイドになるんだ」てな具合に一生懸命やってたんですけど、だんだんね、飯の種で山に行くことが本来の自分のしたいこととちょっとかけ離れてるやないかという想いがどんどん膨らんできて、27〜28歳頃から非常に不安になってきましてね。「30歳近くもなって俺、今何してんねや。山ばっかり行って大して仕事もせずに」みたいな感じで(笑)。

ーそんな経緯や苦悩があったのですね。

金山:ええ。それを山仲間と話すうちに、僕のパートナーの一人が「ダンロップでものづくりせえへんか?」と誘ってくれて。彼はダンロップ製品を販売する子会社で営業を担当していて、僕がよく既成のものを改造しているのを見て、ものづくりができる人間やないかなということで、企画製造の関連会社の枠で声かけてくれたわけです。ガイドではなしにこういう道もあるのかと吹っ切れまして、30歳になって初めてネクタイをしめました(笑)。

「これなら起業できるんちゃうかな」という確信を持ってスタートしました。

ーそこではどんなお仕事を担当されていたのですか?

金山:ダンロップの関連会社には企画開発としてダンロップテント、ウェア、雨具関係の設計やデザインを担当しました。前身はいわゆる船場の糸商だったので、入社後すぐに糸の勉強をさせられたり、日常的に糸の言語が飛び交うような環境でしたから、自ずと繊維や素材に関する知識が身につきましたね。

ー御社の商品の特徴は素材から作られているところだと感じています。やはり、糸商でのご経験が生きているのでしょうか?

金山:そうですね。そういう経験をしている人は、スポーツアパレルの世界ではほとんどおれへんと思うんですよね。繊維、生地、素材選びは、通常、生地メーカーの展示会で陳列されているものをチョイスする、という発想でやりますけど、うちは糸から選んでオリジナルの生地をつくりますから。このスタイルは創業からずっと続けています。

ー糸から選んでオリジナルの生地をつくるということの強み、そこにこだわられるのにはどんな意味があると感じていますか?

金山:繊維アパレルの世界はコピーが当たり前の世界ですから、生地メーカーのランニング品をチョイスして物をつくると、まったく同じ生地で他のメーカーもつくってくる。素材、つまり一番川上でものづくりをすることで、その構図を阻止することができるんですね。

ー2004年1月に創業されて最初に手がけられたのは、世界初となるドライレイヤー「フラッドラッシュ」ですね。どのような狙いがあったのでしょうか?

金山:登山ブランドがたくさんあるなかで、いきなり「登山用」を引っさげて展開しても誰も見向きしてくれないというのはわかってましたから、まずは競争の少ない水系からスタートすることにしたんです。僕自身、沢登りもリバーカヤックも大好きだったんですが、その当時、ずぶ濡れになった環境の中で快適なウェアがなかったもんですから。商品の構想は3〜4年前からずっとあって、「これであれば沢登りでもカヤックでも絶対支持される」「これなら起業できるんちゃうかな」という確信を持ってスタートしました。起業して半年後には商品化していましたね。

ー商品発売後は順調でしたか?

金山:最初は苦労しました。すぐに声を上げてくれたのはカヤックショップくらいでしたから。軌道に乗り始めたのは3年目くらいからですかね。

ありがたかったのは、繊維メーカー、縫製工場の方々がすぐさま声を上げてくれたことです。彼らに協力していただけたのは大きいと思いますね。起業当時からの関係性、取引はその当時からずっと、今も続いています。

ー御社は糸作りから生地への織り(編み)上げ、仕上げ、裁断、縫製といったすべての行程を日本国内で行なっていますね。ジャパンメイドにこだわる理由には、起業当時からの関係性が影響しているのでしょうか?

金山:日本の繊維技術が世界No.1であることは、素材を作り製品に仕上げるまでの過程に携わるすべての業者が「繊維産業」として一体となって成長した結果です。関係性はもちろんですが、僕らとしてはその事実を大事にしたいと思っています。

2017年には「撥水」「吸汗」を損なわず「汚れだけ」を落とす洗濯洗剤「ALL WASH」の開発も

ー創業初期の商品が今も定番商品の一つとして売れ続けているんですね。アウターに着手されるのは創業から8年ほど経ってからになりますが、これも戦略だったのでしょうか?

金山:起業に至るまでのアウトドアアパレル時代に培った経験則から、流行り廃りをあまり感じないもので勝負したい。そのためには最下層の肌着から積み上げていって、最終的にはアウターにこぎつけるようなビジネスモデルを思い浮かべていました。

アウターは一番表面に出るものですし、ブランドのシンボルになるものです。それだけにアパレルブランドの多くはアウターから展開し始めることがほとんどなわけですが、その分1〜2年で色やデザインをどんどん変えていかなければいけない。僕らはまだネームバリューもないしお金もないし、アウターからスタートするなんて絶対ありえないと最初から思ってはいました。会社として成功したかどうかはわからないし、まだまだこれからなんですけど、一応ここまで来れたのはそういうやり方があったからだと思っています。

危険や恐怖心に制約されたままでは今ひとつ思い切れないし、面白くない。

ーフラッドラッシュ誕生の半年後には、現在のスキンメッシュ商品の前身となる「フラッドラッシュ スキン」を開発されています。スキンメッシュ製品に関する開発のきっかけや想いを教えてください。

金山:開発のきっかけは、ウェアやギアにおける徹底的な安全面の追求が必要やと感じたからです。当時はまだ明確なレイヤリングの概念がなくて、ウールや化繊の肌着が常識でしたけど、僕としては「全天候に対応できるものではない」「危険を回避できない」と常々考えていました。

それでなくとも、アウトドアア・クティビティには危険がつきものです。いつ何時天候が荒れるか分からないし、予期せぬアクシデントが起こるかもしれない…。けれど、危険や恐怖心に制約されたままでは今ひとつ思い切れないし、面白くないんですね。装備面において不安や危険があることは、行動中、常に恐怖心を抱いているのと同じこと。恐怖心を取り払うことで、もっと自然の奥深くまで入っていってより大胆に行動してほしいと思います。

ーレイヤリングそのものの常識を疑い、改良を重ねた末に完成したのがスキンメッシュ製品で、その理由はアウトドアアクティビティをより大胆に楽しむためだったのですね。同じく代表的商品、カミノパンツの方はいかがでしょうか?

金山:カミノパンツ開発当時は、登山用のパンツと言えば耐久性第一のもの、つまり生地が非常にゴツいものばっかりやったと思います。使われている生地はウール、ウール混、ポリエステルのパンツばかりでした。で、耐久性があって、もっとしなやかに動ける素材はないもんかということで行き着いたのが、ナイロンなんですね。ナイロンはポリエステルより圧倒的に繊維強度がありますし、クーリング性もいい。

もともと繊維を織り上げる所の難易度がポリに比べて非常に難しいというのがあって、それまでは世の中になかったんですが、今から5年前、なんとかナイロンでできないかということで一から設計して作り上げたのがカミノパンツなんです。そういう意味では風穴を開けた商品だと思います。ちなみにナイロン製の丈夫なニットシャツも展開しています。

ナイロンのニットシャツ。吸汗性を出す技術は難易度が高いため一般にはあまり商品化されていないが、強度はポリエステルより圧倒的に上でクーリング性も高い

もともとはね、「firsttrack」だったんです。

ーファイントラック製品は、エクストリームな環境に身を置く人に選ばれるイメージが浸透していると思います。いわゆるハイエンド層に支持されてる理由は何だと思いますか?

金山:うーん、どうやろ。なんて言うたらええんかな。もしかしたら僕らの独りよがりなところもあるかもわかりませんが、僕らとしては「我々がやってるアウトドアの捉え方は絶対間違っていない」という信念を持って、「遊び手が創り手」「メイドインジャパンのモノ創り」といったミッションのもと、製品をつくっている感覚があります。

ただ、逆に言うと流行にはある意味不器用というか、度外視している部分もあって。そういう部分も含めて共感してくれる人たちが我々のものを買ってくれて、自ずと我々と同じスタンスでアウトドアを楽しんでくれてるんかなあと思いますね。だからユーザーさんには仲間意識に近い感覚を持ってます。いや、失礼なんかもわからんけどね。

ーユーザーさんもアウトドア・アクティビティを楽しむ仲間だという考えこそが、ファイントラック製品が支持される所以なのかもしれませんね。

金山:自然に触れ合う、自然の中でアクティブに遊ぶという文化が、我々の生活にしっかり根ざしていってほしいなあと思い続けています。世界中見渡しても、日本みたいに四季折々の美しい景色、アウトドア・アクティビティを楽しめる国ってそんなにないと思うんですよ。最近はもしかしたら日本人よりも外国から来るアウトドアフリークな方々が日本の四季やアウトドア・アクティビティを日本人以上に楽しんでいるような気もして、ちょっと情けない気持ちになりますけど。我々も含め、この日本の素晴らしい四季をもっと楽しまないと、と思いますね。

ーそういった想いはfinetrack(ファイントラック)という名前にも何か関係しているのでしょうか? 社名の由来を教えてください。

金山:もともとはね、「firsttrack(ファーストトラック)」だったんです。当時の起業メンバーが3人ともバックカントリー好きで、自分らでファーストトラックなスキーをやってましたから。

ーえ? ファイントラックじゃなかったんですね?!

金山:ファーストトラックという社名で一応スタートさせたんですが、色々調べていくうちに、その名前、もう使えなくなってたんですよ。もうそれがわかったときはね、やばかったですね(笑)

ーええー! 初耳です…!

金山:これはここだけの話でね、社員もほとんど知らないと思います。ファーストトラックをアレンジしてファイントラックにしたわけですが、今思えばファイントラックでよかったなあと思います。自分らで素晴らしい軌跡をつくっていくという意味も重ねられますし。

「f」と「t」を組み合わせたロゴは創業から変わらない。交わった2本の線が、スキーのロングターンのシュプールや川の流れ、波の形、山のトレイルなど様々なアウトドア・アクティビティを連想させる

ー最後に経営者として10年後、20年後を見据えて実現したいことは?

金山:色々な会社を経験してきて思うのは、業績が上がって会社がどれだけ有名になっても、もしくは大きくなっても、社員が遊べない環境で疲弊していくというのは自分の望む在り方じゃないですね。遊びも仕事も両輪であってほしいというか。起業を志したときの想いを大切にして、何十年先であっても「遊びを全力で楽しめる会社」を目指したいですね。

本インタビューを行なった直営店「finetrack TOKYO BASE」。登山ガイドによる講習会や活動報告会など、ユーザーへの発信拠点として年間100本以上のイベントを開催している

■ profile

金山 洋太郎(かなやま・ようたろう)

株式会社finetrack代表取締役
1950年生まれ。アウトドアスポーツウエア・用具企画歴約40年。2004年にfinetrack創業し、メイドインジャパンにこだわって新素材開発からモノ創りを行う。ロッククライミング、山スキーでの登攀・滑降記録多数。カヤック遠征、自転車など四季を通じてフィールドを駆け巡る。

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