Teton Bros. (ティートンブロス)を徹底解剖! ツルギジャケット誕生秘話から商品開発にかける想いまで。
2007年の創業以来、高品質かつデザイン性に優れた秀逸なプロダクトを次々と生み出し続ける「Teton Bros.(ティートンブロス)」。代表作「Tsurugi Jacket(ツルギジャケット)」では、米国ポーラテック社が主催する世界的な賞「POLARTECR APEX Awards」を日本ブランドとして初めて受賞し、その名を国内外に轟かせた。
センタージッパーがなく頭からすっぽりと被るプルオーバー型。フロント部分にざっくり配された八の字型ジッパー。他のブランドにはない、そのシンプルかつ斬新なデザインは「おしゃれだ」「かっこいい」とたちまち評判を呼んだ。しかし、話を聞けばそれらはデザイン性を重視したものではなく、あくまで機能を追求した結果だと言う。ティートンブロスにおけるモノづくりの真髄、ティートンらしさはどこにあるのか。代表の鈴木紀行(すずき・のりゆき)氏に話を伺った。
[インタビュアー:春山慶彦、記事作成・写真:中條真弓]
「いきなり100点は無理でも、欲しい機能が詰まった80点の一着をつくろう」と思った。
ーはじめにブランド名の由来を教えてください。
鈴木:Teton Bros. のTeton(ティートン)は、アメリカ、ワイオミング州のTeton郡にある「アウトドアの聖地」と言われる場所を指しています。僕は大学卒業後に単身渡米して、ティートン郡のJackson Hole(ジャクソンホール)という土地で10数年ほど過ごしました。
僕にとってのティートンは、友人たちにスキーなどのアウトドアアクティビティを教えてもらったり、いろんな人に助けてもらったりして、今のビジネスに携わるうえでの一番のピースになった場所です。そこで知り合った人々が、今まで出会った人たち、これから出会う人たちと結びつくようにという想いを込めて、「Teton Brothers」と名付けました。
ーなるほど、人と人との出会い、結びつきに対する想いが込められているのですね。ロゴマークの動物は、猫…でしょうか?
鈴木:いえ、これは「マウンテンライオン」です。「ピューマ」とか「クーガ」とも言われますね。ロッキーエリア等に生息していますが、警戒心が強いため、彼らの姿はなかなか見ることができません。まあ、ライオンとかトラとか、ああいう大きなネコ科の動物って英語だと「Big Cat」なんて総称で表現されますからね。猫って言われてもいいかなと思いますけど(笑)。ネコ科のしなやかさや強さ、俊敏性、美しさ、稀にしか見れない神秘性を魅力的に感じてロゴにしました。
ー創業より前から、アウトドアブランドやアパレル開発などご経験されていたのでしょうか?
鈴木:「SPYDER(スパイダー)」というアメリカのスキーメーカーの日本総代理店業を10年ほどしていました。そこで日本向け製品の企画開発や新規アウトドアラインの立ち上げなんかも経験しました。
ー新規立ち上げではどんな商品を企画されたんですか?
南米やカナダを意識したクライミングウェアなどです。自分たちの欲しいものを実現するためにチーム一丸となって、素材もデザインもほぼ際限なしで目一杯につくったんですけど、2年くらいでなくなっちゃったんです。スパイダー自体が大きな投資会社に買収されて、スキーにフォーカスしなさいと言われてしまって・・・。
ーそれで起業を?
鈴木:はい。いっそのこと日本に戻って自分でやっちゃえばって話になって。2007年の冬から、ニセコの今で言うビレッジ、東山のパトロールにフィールドテストとして実際に着用してもらいながら、一緒に「TB Jacket(ティービー・ジャケット)」と「TB Pants(ティービー・パンツ)」をつくり始めました。
ー独立後、実際に商品開発を進めてみていかがでしたか?
鈴木:とにかく自分たちが着たいと思えるウェアをつくろうという気持ちでしたね。もちろん自分でつくってもいきなり100点にはならないとは思ってたんですけど、「同じ80点でも、自分たちが欲しい機能がちゃんと入ってる一着をつくりたい」と思っていました。
納得のいく素材ができたら、素材が更新された分だけパターンをマイナーチェンジする。
ーフィールドテストで最初の一着を着てもらったときの反応は?
鈴木:TBジャケットとTBパンツには、今でこそ弊社オリジナルのNeoShell(ネオシェル)を使用していますが、当時はまだ世に出ていませんし、event(イーベント)では寒すぎたんですね。なので最初はDarmizax(ダーミザックス)を使っていたんですが、やっぱりちょっと重たかったりとか、耐久性を十分に保てなかったりとか、いろんな不具合がありました。
どうしたもんかと考えていたときに、たまたまポーラテック社の人とつながりができて、テストで使わせてもらえることになったんです。ネオシェル発売の1年くらい前ですね。それから早速TB Jacket のパターンでネオシェルを使ってテスト着用してみたんですが、今までにない感覚というか、ウェア内がドライになる感じでした。
ーTB Jacket , TB Pants が一般に販売されたのは2008年〜2009年の秋冬モデルからですね。2007年の着想から発売開始まではフィールドチェックと改良を重ねて来られたのでしょうか?
鈴木:じつはダイミザックスの前に1個、台湾でオリジナルの生地をつくってるんです。販売店の方々からもすでにオーダーをもらってたんですけど、どうしても納得がいかなくて。「ごめんなさい、キャンセルします」ということで、その年の冬は全部のお店を謝ってまわりました。それで1年空いちゃったんです。
ー素材にものすごくこだわってらっしゃるんですね。
鈴木:TBジャケットから派生して服のパターン(型)が熟成されてきた頃から、より素材を追求するようになりました。骨格や肩関節の動きを邪魔しないカッティングができれば、あとは賛同してくれるファブリックメーカーさんと一緒に自分たちの本当に欲しい素材をつくっていけばいい。納得のいく素材ができたら、素材が更新された分、必要な分だけパターンをマイナーチェンジするかたちですね。
ー素材に合わせてパターンもデザインも変わっていく。料理で言うところの食材そのものにこだわる、ということですね。
鈴木:今後ますます「サスティナビリティ」が謳われてくると、例えば撥水性ひとつとっても、その定義自体が変わってくると思うんですよね。やっぱり機能は落とさずに丈夫なものをつくると買い替えなくて済むじゃないですか。ビジネス的にはお客さんに買い替えてもらうことが前提なんですけど、僕らとしては、何着も買って欲しいとは思ってなくて。自分自身のアクティビティや行動範囲に合う一着を大事に着続けて欲しいですね。
ー商品開発の手順としては、鈴木さんご自身の発想からスタートすることが多いのでしょうか? それとも、ユーザーからのフィードバックで始めるのでしょうか?
鈴木:どちらかというと、提案しながら売っていく感じに近いと思います。もともと「自分と周りの人間が着たいものをつくりたい」という想いからブランドをスタートしているので、そこはまず外せません。あとは自分の周りに信頼できる人間とテストできる環境があることが重要ですね。フィールドテストの過程がないと、いいものは絶対できないので。
ーフィールドテストには通常どれくらいの期間をかけるんですか?
鈴木:プロトタイプができてから、最低ワンシーズンですね。長すぎてボツになるものもありますけど。Tsurugi Jacket(ツルギジャケット)は4シーズンかかってますね。テストで3シーズン、4年目の2013年でやっとリリースしました。
ーそこまで時間をかけてるんですね! すごい・・・
鈴木:大手だと企画ありきで翌年のラインナップが決まっているのが普通ですけど、うちは社員5名の小さな会社ですからね。小さいからこその強みもあると思っています。でも、マニアックすぎてボツになってるサンプルなんて本当にたくさんありますよ。できたあとに「これ売り出したら15万とか20万くらいになっちゃうけど、日本で使える人ってどれくらいいるのかな」っていう(笑)。だからサンプルばっかり着てるときもあります。
アイスクライマー向けに特化して作った製品が一般に認知されるなんて、予想してませんでした。
ー商品化までに4年かかったというツルギジャケット。どんな風に誕生したのでしょうか?
鈴木:ツルギジャケットはNATO山岳部隊の人、アイスクライマー、元SASだったおじいちゃんとつくりました。モンゴルと中国の未踏峰にも行ってテストしたんですよ。「ツルギ」という名前は、たまたまメンバーがオーストラリア人とイギリス人だったんで、「sword(剣)」のツルギと「山(剣岳)」のツルギ、あとは精神的なところでもすごくいいということで決まりました。初めて日本語由来の名前をつけたのがこの商品ですね。
ーツルギジャケットはPOLARTECR APEX Awardsを受賞されていますが、反響はありましたか? また、どこが特に評価されたとお考えですか?
鈴木:反響はありましたね。特に海外からの反響が大きかったように思います。評価ポイントは…見た目の斬新さとファンクショナビリティ、でしょうか。各パーツや見た目については何を質問されても答えられるくらい、細部までこだわってつくりこんでますからね。
ーフロント部分の八の字型ジッパー、ベンチレーション部分は大きな特徴だと思います。どうしてこのかたちを採用されたのですか?
鈴木:まず、バックパックを背負っていても開けやすい位置ですよね。それから、登ってるときはある程度、身体が前屈するかたちになるので、ここにベンチレーションがあると脇の下の動脈を効率よく冷やせるんです。センタージッパーがない分、体を自由に動かしやすくもなっています。もともとはアイスクライマー向けに考案した製品なんですけど、体を横にひねる動作の多いスノーボーダーたちからも好評いただいてます。初めはみんなポケットと間違えるんですけどね(笑)。
ーその他のポイントはありますか?
鈴木:肩まわりのレンジオブモーションですね。着てみると分かると思うんですけど、とにかく腕を動かしたときのストレスがないんですよ。アックスを氷壁に刺している状態、つまり両腕を上げている状態を想定して動きやすさを追求しています。袖や袖口のサイジングも、腕を上げたままでも暑くなったら熱を逃せられるよう、太すぎず細すぎずにこだわりました。パーツがシンプルなのに4年も開発に時間を要したのは、この部分の改良が大きいです。あとはテスト段階のフィードバックを反映して、ハーネスやアイススクリュー、ガチャが干渉しないように紐をフロント一ヶ所で決められるようにしてたり…。ただ、とにかくアイスクライマー向けに特化してつくったもの、しかもプルオーバーが一般に認知されるなんて、正直、僕らも予想してませんでした。
トレンドの色に振り回されるんじゃなくて、”うちらしい色使い” を大事にしたい。
ー御社の商品をみていると、独自の色使いをされているな、という印象があります。流行など意識されていることはありますか?
鈴木:流行はあまり意識してませんが、日本人の肌の色に馴染むかどうかは大切にしています。スパイダー時代にアングロサクソン系のモデルが着るサンプルはかっこよく決まってるのに、日本人に持ち帰ると「あれ?」と感じることがあって。そこがヒントでしたね。特に寒色系は僕ら黄色人種の肌色にはいまいちしっくり来ない。日本に昔からある色を選んだ方が、日本人には合うんですよね。
ー日本に昔からある色、ですか。
鈴木:はい。例えば草木染めとか、ですね。基本的に僕らは着物の色調を選んでパントーンに落とし込んでやってます。
ー着物! 御社の魅力的な色づかいは日本の伝統色から来ていたのですね。
鈴木:色は基本的に僕というより、女性の坂口というメンバーがメインでやってくれています。今、彼女を呼んできますね。
ー御社の商品カラーリングは、日本の伝統色から選んでいると聞きました。その発想はどこから生まれたのですか?
坂口:私自身、欧米や北欧のビビットな色使いに憧れながらも実際に着用してみるとやっぱり日本人の肌色に合わないな、という感覚があって。そこで思いついたのが、日本人が古来より親しんできた自然の色だったんです。昔の着物の色とか大正時代の昭和ロマンとか古い雰囲気って日本人としてもおしゃれだなって思うじゃないですか。そういう感覚を大事にしたいなと思って。
選ぶ軸を決めてからは、選んだ色を並べたとき全体のトーンがブレないようになりました。当初、店舗さんからは「他のブランドの商品と並べると埋もれてしまう」「店頭陳列が沈んで見えるので、もっと明るい色を入れて欲しい」なんて声もありましたけど、最終的にお客さんにとって大事なのは、店舗で並べたときの華やかさじゃなくて、ジャケット単体やパンツと合わせたときの見え方だと思うんです。ツルギライトの白を出したときは汚れやすさを気にして店舗さんからはあまりオーダーが入らなかったんですが、蓋を開けてみたら白の売れ行きがすごくて。お店の視点と実際のお客さんのニーズは必ずしもマッチしているわけじゃないんですよね、きっと。
ー「商品を陳列したときの綺麗さ」を追求するのは店舗側の視点。その気づきが結果として御社独自の色使いを形成したのですね。今年の秋冬モデルとして発売が決まっているツルギライトの女性モデルも、素敵な色合いですよね。
坂口:ありがとうございます。女性ウェアはどうしてもピンク色や柔らかい暖色系のウェアが多いんですが、そういう色使いが嫌でうちにたどり着くお客さんもいらっしゃって。何万色の中から選んだたった数色を、お客様が「きれいだね」と言ってくださるなんて、こんなに嬉しいことはないと思ってます。トレンドの色をもとにパントーンの番号をいくつずらすとか、彩度を上げるとか、そんな流れ作業で選ぶんじゃなくて、一色一色大事に選びたい。女性らしい色合いも可愛らしいなと思うけど、うちはうちならではの配色を大事にしていきたいです。
地元に愛され、応援されながらブランドが育っていく感じっていいですよね。
ー最後に今後の展望について聞かせてください。
鈴木:日本のアウトドアはどこかファッションに偏ってしまう部分があったりして、今ひとつ文化にはなっていかない面があるじゃないですか。なので、日本の自然ってすごくいいなと思う反面、少しもったいなさも感じます。かつて僕が暮らしたジャクソンでは、アウトドアがまさに街の文化になっていました。街のすぐそばにはスキー場があって、そこはリフトが動く前、早朝でも自由に登れるようになってるんですね。アウトドアウェアに身を包んだ女性2人がやってきて、出勤前に犬と一緒にシールで登って滑ってくる。そんな光景が当たり前でした。
ーアウトドアが日常なんですね。
鈴木:そう。そういう環境だと、余計にいいもん揃えたいと思うんですよね。例えば朝、スキー場へ行く前に店に寄ってくれた街の人に「これ、プロトタイプだから使ってきて」ってテスト品を渡す。で、夕方戻ってきたら感想を聞くんですよ。ビール片手に「これ、良くないな」「お前が使い方下手なだけだよ」なんて言い合いながら、新しいものができていく。そんなふうに地元の人たちに愛され、応援されながらブランドが育っていく感じっていいですよね。いちローカルブランドとして出発して、だんだんと海外でも売れるようになるのが一番の理想です。
ーすごくいいですね。アウトドアブランドが街のブランドにもなるという。フィールドを舞台にしているものづくりの会社のあり方としては理想ですね。
鈴木:プロのフィードバックも重要ですけど、逆に言えば彼らはスキルが高いからなんでも使えちゃいますからね。だから両方の声を聞かなきゃいけないと思います。ちゃんとブラッシュアップして、プロはもちろん一般の方も使えるものにしていかないと。
鈴木 紀行(すずき のりゆき)
Teton Bros. founder 全国高校サッカー選手権3位の実績を持ち、教師を目指していたが、日本の教育制度に疑問を感じ始めた大学4年の秋、アメリカで ”アウトドア・インストラクター” という肩書きの体育教師の募集を見つけ、単身アメリカ、ワイオミング州へ。冬の間、休日にはホストファミリーが朝一番で、Jackson Hole のスキーに送り届け、 リフトが終わる夕方に迎えに来る。お金も移動手段もないので、迎えが来るまでスキーをするしかしない。リフトで一緒になったローカルが Tommy Moe と聞いても誰かすらわからない。が、持ち前の運動能力で、気づけばパウダーが大好きなJackson Holeのローカルになっていた。帰国後、スキーやアウトドア・ウェアの輸入販売を始め、その頃からウェアの開発にも興味を持つようになった。日本に合ったウェアの開発を依頼し自らアドバイスも行なったが、自分の理想とするウェアを作ろうと、Teton Bros.を立ち上げた。